令和5年 第6回日本舞踊 未来座 =最(SAI)=

令和5年度 第6回日本舞踊 

未来座 = 最 SAI =

舞姫コラム

column

第4回 「舞とは何か」

さて、これまでもお話をしてきました通り、「舞」には巫女を代表する宗教的、また儀式的要素が強いことがわかり、とりわけ「舞」は女性の巫女、言わば「卑弥呼(ひみこ)」と「天宇受賣命(あめのうずめのみこと)」に代表される「姫」の存在が「舞」を司る、言わば「舞姫」の始まりであることをお話してきました。さて、その「舞姫」が舞う「舞」とは一体どのようなものを指して、そう呼ぶのでしょうか。「舞」とは「マイ」と読む音からも、なんとなくしなやかで落ち着いた荘厳なイメージを感じるのではないでしょうか。それもそのはずで、これまでお話をしてきた通り、「舞」には、「卑弥呼」や「天宇受賣命」のような神話や女王を通じた「巫女」、またその存在は「姫」に必ず纏わることもお話をしてきました。「姫」とは高貴な女性の呼称であり、またシャーマンたる「巫女」が行う身体表現をその基盤としていることもわかります。


それでは「躍・踊(おどり)」はどうなのか?と思われた方もいるのではないでしょうか。実は我が国の芸能史の中で、「躍(踊)」の文字とその芸が登場するのは、およそ鎌倉時代から室町時代に流行した「田楽躍り」など、民間行事や仏教に纏わる祭り等の中に登場するまで、我が国においても宮廷文化が中心となる古墳時代から飛鳥、奈良、平安時代に至るまではあまり「躍(踊)」は正式記録として登場しないのが実態なのです。その理由としては、「躍(踊)」が民俗、主に民衆のエネルギーに代表される民俗性にその理由があるのですが、そのお話は、また次回以降とさせていただき、まずは「舞」とは一体どのようなものなのかについてお話しましょう。


さて、「舞」の漢字を解析してみますと、「舞」と言う漢字は、古代この漢字のできた時代、ちょうど紀元前1000年頃にあった中国の古代国家、周の時代に、シャーマン(巫)が、「羽舞」と呼ばれる舞で戦の勝利を祈願したとされ、どうやら鳥が羽ばたくように両手を胴体に擦り付けるような動作を行なっていたようです。またそれら「羽舞」を行う者を「祝(はふり・ほうり)」と呼び、我が国でも同じように神職の一部を「祝(はふり)」と呼んでいるのです。また、その舞の様子は周の国の歴史書「周礼」にも出てくるもので、そもそも「舞」はやはり太古より宗教性をもった身体動作であることも理解できるでしょう。また、これも驚くことに、「舞」の漢字の初文は「無」と言う漢字であることもまた興味深い事実ではないでしょうか。「無」とは、現在では「無い」ことなど、言わば物体や事柄など存在しないことを指しますが、元来その意味としては、むしろは古代では「宇宙」や「神仏の世界」を表現していたと考えられます。しかし、「宇宙」と言ってしまうと壮大過ぎで、現在のような科学がなかった古代の時代には、宇宙の概念など存在しないのではないかと思う方も多いかもしれません。しかし、現実には、私たち現代人ですら地球のこと、特に海底のこと、宇宙のことに至っては、ほんの数パーセントの僅かなことしか解明されておらず、ほとんどが未だ解明できてはいないのです。しかし、紀元前にあった古代中国の殷や周といった国家では、宇宙を「無」、所謂終わりのない広がりや永遠として解釈していたようです。また、地球や星々などが回転している様を旋回することで表現し、それを漢字の表現として、「無」に人の舞う足を表現した「舛」の字を当てて「舞」と言う漢字として成立させ、かつその旋回動作によって「無=宇宙や自然」を表現し、さらに地球の自転や自然、宇宙を表現する「旋回動作」を基本とし、「舞」として表現させたものが根源と言うわけです。

「舞」の表現において中心となる身体動作では、足を使った躍動ではなく、主に上半身を用いた旋回運動が主となります。それはあたかも宇宙空間を表現しているようにも感じますが、時代ともに様々な表現が加わり発展してきました。例えば、本来神社における神事での神楽舞は、こうした意味から「躍(踊)」ではなく、「舞」なのであって、また「舞」の始源を辿れば、古代中国の王朝より渡来し、我が国の大和朝廷の中で発展した「伎楽(ぎがく)」や「舞楽(ぶがく)」、また「散楽(さんがく)」など、その後にある「御殿舞」の始祖は、全て「躍(踊)」ではなく「舞」と言う訳です。また、中世に始まる能楽も、「舞」であって「躍(踊)」ではない理由が、そもそもの始まりを考えてみると「舞」の持つ深い意味が理解いただけるかと思います。

さらに言えば、8世紀頃の宮中には官女としての「内教坊」と言う部署があり、平安時代中期頃まで存在していたようですが、そこには「舞姫」たる「妓女」があり、しっかりとした官位も持っていたそうで、同じく宮中にあり巫女の系譜として存在していた「猿女君(さるめのきみ)」とは違い、宴席などで舞を披露していたようで、その系譜が、ずっと後の民間における豊かな「御座敷」での舞の文化にも発展していったことも窺えるのです。


次回は、この「舞」を職能として行なう「舞姫」の系譜、そしてその芸能者についてお話しを進めて参ります。

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